東京高等裁判所 昭和38年(ネ)2727号 判決 1965年9月16日
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し、金一五七万七〇〇〇円とこれに対する昭和三四年一一月一日以降支払済まで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は主文同旨の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張および証拠関係は、控訴人において「被控訴人の父訴外村越忠が家出したのは昭和三四年七月二八日であり、被控訴人は同年八月上旬には右忠の死亡を確実に予想していたものである。控訴人は原審において右の家出を同月三〇日と主張し当事者間に争いのない事実となつているが、右主張は真実に反し且錯誤に基くものであるから訂正する。」と附加して陳述し、甲第二二号証を提出し、当審証人村越まさ、同西田久夫の各証言を援用し、乙第七号証の成立を認めると述べ、一方被控訴人において乙第七号証を提出し、甲第二二号証の成立を認めると述べた外は、原判決事実摘示と同一であるからこれをここに引用する。
理由
一、左官業を営んでいた被控訴人の父訴外村越忠が昭和三四年七月三〇日頃家出して行方不明となり、同年一二月七日横浜線長津田の山林中で白骨死体となつて発見されたが、同人は家出当夜自殺死亡していたことが確認されたこと、被控訴人を含む右忠の相続人全員が昭和三五年二月横浜家庭裁判所川崎支部に相続放棄の申述をなし、同年三月一〇日右申述が受理されたこと、はいずれも当事者間に争いがない。控訴人は、忠の家出の日は昭和三四年七月二八日であつて、それが同月三〇日である旨の従前の控訴人の主張は真実に反し且錯誤に基くものであるというけれども、右家出の日が同月二八日であると認むべき証拠はない。
二、ところが控訴人は、被控訴人の相続放棄について、民法第九二一条第一号により被控訴人は相続の単純承認をしたものとみなされるから右放棄は無効であつて、被控訴人は忠の控訴人に対する貸金債務を承継したものであると主張する。
先ず民法は、相続人が一定の期間内に相続の単純承認・限定承認又は放棄のいずれかをしなければならないものとし、一定の期間内に何もしなかつた場合には単純承認をしたものとみなされる旨を定めているが(第九一五条第一項本文、第九二一条第二号)一方相続人は相続の単純承認をしない以上相続財産を処分することができない筈であり、従つて承認・放棄の態度を明らかにしないうちに相続財産を処分したときは単純承認の意思があるものとみるのが至当であり、かような意味において相続人が相続財産の全部又は一部を処分したときには、単純承認をしたものとみなすこととしている(第九二一条第一号)。しかしながら本来相続の単純承認は相続の開始したことを知つた者において初めてすることができるのであるから、自己のために相続が開始したことを知らない者が、これを知らない間に民法第九二一条第一号本文の処分行為をしたとしても、これにより同条による単純承認擬制の効力は生じないものと解するのが相当である。
ところで原審における被控訴人本人の供述、当審証人村越まさ、同西田久夫の各証言によれば、被控訴人およびその家族は、忠の死体が発見された昭和三四年一二月七日に至つて初めて同人が死亡したことを知つたものであることが認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。
そこで控訴人が、被控訴人において相続財産を処分したと主張する請求原因二の(1)ないし(5)の点について検討する。先ず(3)ないし(5)はいずれも被控訴人が忠の死亡すなわち自己のために相続が開始したことを知つた昭和三四年一二月七日以前の行為であるから、被控訴人がその行為をしたかどうか、又その行為が民法第九二一条第一号にいう処分行為にあたるかどうかを判断するまでもなく、これらの行為を前提として控訴人が単純承認をしたものと看做すべきであると主張するのは、主張自体失当というべきである。次に右(1)については、被控訴人が昭和三四年八月一七日有限会社村越工業所を設立し、同会社が忠の所有にかかる左官工具および自転車等を使用していたことは当事者間に争いがないけれども、いずれも成立に争いのない甲第一一号証、第一八号証、第二〇号証、乙第三号証の一および原審における被控訴人本人の供述によれば、有限会社村越工業所は、忠の家出後かねて家業に従事していた忠の長男である被控訴人が、家族の生計を維持するために会社組織にして左官業を営むのが得策であるとして設立したものであり、同会社の営業所は被控訴人の住所地にあつて外観上は従前の左官業となんら異なるところはなく、被控訴人は同会社の設立以来早くとも昭和三六年一〇月頃までの間同会社が前記左官工具および自転車等を事実上使用することを容認していたに過ぎず、賃料等の定めももとよりなかつたことが認められ、この認定を動かすに足る証拠はない。かような事情のもとに被控訴人が忠の死亡を知つた以後において、同会社に右各物件を事実上使用することを許容していたことは、民法第九二一条第一号但書所定の保存行為の範囲を超えるものでないことは明らかである。又(2)については、成立に争いのない甲第一七号証によると、忠は昭和三四年六月頃訴外鈴木輝雄から建物を賃借し炭屋営業をしていたが、忠の家出後同年一一月頃には閉店状態となつていたことが窺えるので、被控訴人が忠の死亡を知つた以後において右炭屋営業をしたようなことはないものと認められるのである。してみると控訴人が右(1)および(2)の行為を理由として被控訴人は相続を単純承認したものとみなすべきであると主張するのは筋違いといわなければならない。
ただ被控訴人が忠の死亡を知らなかつたにせよ、忠の死亡を確実に予想しておきながら、敢てその財産を処分したような場合にあつては、忠の死亡を知つていた場合に準じて民法第九二一条第一号を適用する余地があると解せられるけれども、被控訴人が、控訴人の主張するように、昭和三四年八月上旬頃既に忠の死亡を確実に予想していたことを肯定すべき資料は何もないから、控訴人の主張を失当とする前記結論に異同はない。
更に控訴人は、被控訴人が昭和三四年一二月七日忠の死亡を確認し、相続が開始したことを知つた後は、自己が処分した財産を原状に回復して限定承認をなすべき義務があるにも拘らず、その義務を怠つたことは不作為による財産処分行為にあたると主張するけれども、被控訴人において相続の開始を知つた後既に処分した財産を原状に回復すべき義務があるとは解せられないし、その原状回復をはからなかつたからといつてそのことが民法第九二一条第一号所定の処分行為にあたるということはできず、結局右主張は独自の見解であつて採用の限りでない。
三、以上のような次第で、被控訴人が相続の単純承認をしたものとみなすべきことを前提として被控訴人のした相続放棄の効力を否定し、被控訴人が忠の控訴人に対する債務を承継したことを理由とする控訴人の本訴請求はその余の判断を侯つまでもなく失当であり、これを棄却した原判決は相当というべきである。
よつて民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。